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人間性を責めないで

今日、こんなニュースが出てた。

@nhk_news: 薬物依存からの復帰施設で覚醒剤か http://t.co/8JxSK9WM

なんとも悲しいニュースだ。
だが、罪は罪として償わねばならんとしても、
それ以上は当事者を責めないで欲しい。
この事件は薬物依存からの回復はそれだけ難しいということを物語っているだけなのだ。

罪を憎んで人を憎まずとはよく言ったもので、
こういった問題は当事者の人間性を責めても何も解決しない。
性格にも多少は影響されるが、
人間は同じような環境で過ごし同じような状況に出くわしたら
同じような行動をとるものだから。

つまり何かが間違ってたら
ワタクシが薬物依存になってたかもしれないし、
あなたがなっていたかもしれないということ。
二日酔いなどで体調不良かつ寝不足で憂鬱でしんどい朝に
やたらテンション高いTV番組見たら誰だってイラッとくるようなものだ。

泳げない人が浮き輪に捕まってる状態が「依存」なのであり、
それがルール違反だからって浮き輪を奪ってどんな方法で懲らしめても
その人が泳げるようになるわけがないのである。

再び泳げるようになる、
つまりスピリチュアルな健康を取り戻すまで
根気強く気の長いサポートが必要なのだ。

ということで、
ワタクシもスピリチュアルな健康を維持するために頑張りますよ♪
自分で言うのも恥ずかしいが、間違いなくアルコール依存予備群だと思う(^^;;;
定年退職後が危険なパターンだなw

投与期間制限という不思議な規制

「新薬の1回の投与期間は14日を上限とする」という規制がある。
これは確か昔の「原則14日制限」が規制緩和された時に
新薬は副作用などをこまめにモニタリングする必要があるとして
14日のままにされたんじゃなかったかと記憶しているが、
果たしてこの14日という数字にはどのような根拠があって今もそのままなのか、
そのあたりどのような検証があったのだろうか?

薬剤師の立場でそのような規制された外来診療を見ていると
医師にも患者さんにも双方に不利益になっているケースを多々見かける。
特に精神科であれば仕事をしながら通院する人もいれば
地理的あるいは疾患的事情で頻回の通院が難しい人もいて
長期処方もやむなしというケースは多いのだが、
そういう人は発売後1年で新薬規制が解除されるまで待て、というのは
医療への平等なアクセスという点からは不公平な規制のような気がする。

医薬品に関する規制には根拠が不明確で一貫性の無いものがいろいろある。
精神科つながりなこの規制の例を挙げれば、
「向精神薬の投与期間制限」がある。
定められた現行の投与期間制限の一つであるが、
簡単に言えば、
麻薬/向精神薬/新薬を14日、一部の向精神薬を30または90日とするというものである。
これも根拠としては向精神薬には習慣性があり、
依存や乱用の危険があるからということだったと思うが、

それでは医療関係者の皆さん、デパスなどエチゾラム製剤の添付文書を開いてみましょう!

どのような規制がかけられていますか?

「処方せん医薬品」とだけあって「向精神薬」とはどこにも書いてないでしょう!?

つまり、習慣性が強い薬とされることもあるエチゾラムは向精神薬としての規制を受けず
一般の医薬品と同様にいくらでも長期投与が可能ということになるのだ。
(もちろん医師がその間診察しなくて大丈夫と認める範囲内でだけど)

それに輪をかけて不思議なのがリルマザホンである。
これは「習慣性医薬品」にわざわざ指定されてるのに
なぜか向精神薬には指定されていない。
よって、エチゾラム同様に規制を受けない。

さらにダメを押すのが、以上の規制はあくまで保険診療の話であって
自由診療ではその規制を全く受けない。
だったら悪徳医師と結託すればナンボでも薬出してもらえるし
医師だったら自分自身に処方箋を出すことでナンボでも入手できる。
これを「診療行為」との建前をかざされたら薬剤師は
「1回1錠、すりつぶして彼女のお酒に混ぜる」
とか違法行為を想起させるような
疑義が処方せんに無い限り、その処方せんを拒否できないだろう。

医薬品の規制は行き当たりばったりのテキトーか、
何か裏を感じさせる非常に恣意的なものと言わざるをえない。
そのような規制は撤廃して全て当事者の自己責任とするか、
きちんと法律という人格の及ばぬものに規制してもらいながら
医薬品の乱用の問題については他のアプローチも必要だろう。

Shared Decision Making

このたび、第5回精神科専門薬剤師セミナー@東京(日経ホール)に行ってきました。

テーマは「精神科急性期治療における精神科専門薬剤師の役割」

とはいえ、コアの部分はタイトルにもした
【Shared Decision Making】(以下、SDM)という感じでしたね。
よく知らない人のために簡単に説明すると、
統合失調症などの精神疾患を治療する上でのアドヒアランスを高めるために
患者さんに十分な情報とそれに基づく自己決定権を与えることで
治療者と患者さんの共同体を形成して治療を進めていくという考え方、
という風にワタクシは理解しています。

例えばこれまでのパターナリズムに基づくインフォームドコンセントでは
医師(まあ、他のスタッフでも同じことだけど)が自分でベストと考える治療を選び
患者さんの同意を得て(説得して?)それを実行していくわけだけど
SDMでは患者さんがベストと思う治療を選択できるわけ。

それって素晴らしい!
というか、本来あるべき姿なんだけどね・・・(-_-;)

古い精神科医療では、
患者さんはみんな病気のせい(時に副作用のせい)で正しい判断ができないから
こっちでベストな方法を選択してあげましょうというものだったわけだけど
最近は「精神科の患者さんは正しい判断ができない」という前提が崩れてきたから
今更ながらそういう話が出てくるんだと思う。
それはそれで時代を背景とした変化であって良いことだろう。

ただしSDMで全て上手くいくわけではないとも思う。
決定権を与えるということは責任を転嫁することでもあるし
それを引き受ける側の患者さんにそれを受け入れるレディネスがあるかどうか
そこが問題になると思う。

実際には精神科に限らず、治療者に依存的な人は少なくない。
「全てお任せします(から、あなたの責任でちゃんとやってね)☆」
こんなのは日本人的気質として多いのではないだろうか?
そしてその対面には
「分かりました、お任せ下さい。(でも、文句言わないでね)」
という関係が成り立っている次第。
だから、ワタクシは旧来のパターナリズムが全て悪いとも思わない。
要は目の前の患者さん一人一人の価値観に合わせた対応が必要で
患者さんがそれを望むならパターナリズムな治療がSDMになっちゃうかもしれない。

EBM(Evidence Based Medicine)もそうだが、
言葉が一人歩きして本来の理念と違ったところにいかないよう気を付けたいものですな。

※おまけ
それまで科学的根拠を軽視した医療がはびこってきたから
反省の意味も込めて「Evidence Based Medicine」なんて呼んだんだろうけど
それまでの医療が全く根拠を無視したものだったかというと決してそんなことはなく、
ただ系統的に利用するための理論が未発達だっただけではないかと思うのですが、
それでもEBMって言葉が一人歩きしてエビデンスを絶対視する人が出てきたから
今度は「Narrative Based Medicine」とかいう言葉も出てきた次第で
そしたら「EBMはダメだ、NBMだ」なんてことを平気で言っちゃう人が出てきて
どれもヒポクラテス以来同じこと言ってるのにな〜とかワタクシは思うわけです。

自立を阻害する人の心理

先日、犬に噛まれた家にこないだ訪問行ったが、
さすがにちょっと怖かったな(^_^;)
そこには飼い主の状態が悪化した時にソックリな超狂暴な犬がいるんだけどw
昔読んだシャーロック・ホームズの「バスカビル家の犬」を思い出した。

あ、ちなみにそこの犬はポメラニアンなんだけどね。
なんちゅーことだorz

で、今日は犬で思い出した話を一つしてみる。

精神障害者であっても本人の自立の意思は尊重されるべきだ。
我々は明らかに困難に直面すると予想される行為(例えば治療の中断とか)以外は極力手出しせず、
失敗した時はいつでも戻ってやり直せる場所を用意して温かく見守っていれば良い。

しかし患者さんの自立を阻害する人は少なからずいる。

それは医療者の1人であったり、
家族の1人であったりする。

そういう人は、決して悪意があるわけではない。
当事者のことを心配するあまりの言葉なのだ。
だからこの問題は難しい。

しかもそういう人は、
一見自立を促してもいるからさらに混乱を生む。
ゴロゴロしてれば外に出ろと言うし、
ブラブラしてれば仕事をしろと言うし、
甘えると突き放し、
「やればできるんだから」と尻を叩いて追い立てる。

しかし一方で、
帰ってこなければ叱責し、
仕事が辛そうにしてたら辞めろと言い、
頼んでもないのに肩代わりし、
好きにしようとすれば「もう面倒見ないから勝手にしろ」と言う。

それでは人は自立できない。
これは患者さんに限らない。子供でも同じ。

そんなこと言う人の心には何があるかというと「関係への依存」だ。
元々自分に自信が無くて自己肯定感の低い人が、
他者から頼られることに自分の価値を見出す。
そういう人は巧みに相手を自分無しでは困る状況に導き、
そこから離れようとすると「All or None」の選択を迫る。
極端過ぎるから、不自由を感じても離れるのが不安で離れられなくなるのだ。

そういう人の傾向として、犬が好きで猫が嫌いというのがある。
犬は買い主に依存し、一度その関係性が決まると何があっても逃げていかない。
しかし猫は基本的に自立して生きており、都合の良いときだけ寄ってくる。
そういうのは可愛げが無いように思うらしい。

ということで、
犬好き猫嫌いな人は自分が無意識に患者さんや子供や旦那を自分との関係性に束縛して、
自分がその関係を維持することにこだわってないか注意する必要があると思う。
(あくまで傾向としての話だが)
相手が自立しない、ダメなヤツだ、と言う前に自分の対応をチェックしよう!

All or Noneでは人は不安過ぎて自立できない。
少しずつケアの線引きを変えて、急な変化を求めないこと。
そしていつでも戻ってこれるという安心感を持たせること。
戻って来た時にはしっかり甘えさせること。
これが人の自立には大事だと思うのである。


ここからは余談だが、
関係性へ依存しやすい人が陥る恋愛パターンは「共依存」。
ボーダー女やDV男と離れられない人は
「相手から依存されること」に依存していることが多く見られる。
相手が薬物やアルコール依存になっちゃってる場合も多い。
うちで仕事しててそれに気が付いた。

生と死と

先日、
日本病院薬剤師会 平成23年度 精神科薬物療法認定薬剤師講習会@神戸に行ってきた。

神戸は楽しかった

という遊びの話ではなく

最も印象深かった話を一つ書く。
「リエゾン精神医学における薬剤師」というテーマで
北野病院の宮本先生がご講演なさった話だ。

宮本先生自身の体験から、死と向き合った当事者の言葉で語られたので
大変重みのある話だった。

我々はともするとついつい指導的立場から患者さんに声をかけがちである。
我々の方がたくさん知識、情報を持っている。
それは一般的には正しい。しかし、
患者さんが正しい認識(我々が臨む認知、判断、行動)をしないのは
患者さんに正しい情報が無いからだ。
だからそれを伝達する、あるいは正していく必要がある。
これはどうか?
それで良い場合もあれば、良くない場合もたくさんあるのではないだろうか。

価値観というものは人それぞれである。
そして合意形成という時にはお互いの歩み寄りが必要だ。

しかしなぜ医療ということになると、
治療者は患者さんの価値観を全てこっちに合わせようとするのだろうか?
「いや、ちゃんと歩み寄りしているよ」という人でも
かける言葉は相手に寄り添ったものになっているだろうか?
相手のことを考えている「つもり」が
密かに相手の気持ちを傷付けることに気付いているだろうか?

先日、親類の葬儀に出席した際、坊さんが言っていた
「生死一如」という言葉を思い出した。
人は生きているから死を迎える。死があるからこそ生きている。
生と死は表裏一体、一方が無ければもう一方も無いという意味だ。
我々は今を生きている。
だからこそいつか死ぬことは避けられない。
死というものは誰にだって大切な人生のテーマなのに、
医療に携わってると、死というものが比較的身近な出来事であるがゆえに
死というものに対して鈍感になっていやしないだろうか?

生と死と。
今一度よく考えてみよう。
ちゃんとした哲学なしに、
そのような重大なテーマを抱えた患者さんの前に立つことは許されまい。

それに統合失調症などの精神疾患は
自殺などを除けば命を失うことはまず無いが、
適切な治療が無ければ「社会的な死」とでもいうべき状態になる。
その不安と恐怖たるやいかばかりのものであろうか。
精神科であっても同様の配慮が必要なのではないかと思う。

薬剤師はモノばっかり扱ってるからスピリチュアルなことを軽視する
とか言われないようにしよう。

そして「服薬指導」という言葉より
「服薬支援」という言葉がしっくりくるような関わり方をしよう。

そのことを改めて思った次第。

統合失調症の妄想はどこから来るのか?

統合失調症の妄想ってスゴイ
何しろ気分障害などで見られる「ある程度了解可能な妄想」ではなく
本当に「どっからそう思うに至ったの!?」と言いたくなるような
突拍子も無い了解不可能な妄想が現れることがある。
これが実際に見聞きしたモノから発生している妄想ならまだしも、
幻聴など病的体験が出所の妄想だとホントにワケ分からんことがある。

統合失調症の妄想はどこから来るのであろうか?

それに対する明確な答えはまだ無く、
一番有名なドパミン仮説がやはり関係していると言われているが、
じゃあドパミンが過剰だったらなぜ妄想が出るのかまでは
ドパミン仮説は説明していない。

この点に関してワタクシが一番納得できている仮説は
ドパミン過剰によるサリエンスsalience亢進が妄想を引き起こすとする説である。

これについては、
長嶺 敬彦先生が書いておられる
に分かりやすい説明があるので参考にすると良いだろう。

勝手ながら概要を抜粋しつつ簡単に説明させていただくと、

まずドパミンは何か新しい変化が起こった時に放出され、
その出来事についての学習や想起をするきっかけを作るような役割があるらしい。
そしてドパミンをたくさん放出させる出来事や対象を動機的サリエンスと呼ぶ。

正常であれば、動機的サリエンスというのは
ホントに重要なことに遭遇した時にしか成立しないのだ。
例えばクルマに轢かれそうになったとか、突然愛の告白を受けたとか。
そしてそれが自分にとってどういう意味があるかを考えるきっかけになるのだ。

しかし統合失調症ではドパミンが過剰に放出されちゃうわけで、
つまり大したことじゃないのにドパミンがドン!と出て、
動機的サリエンスが成立してしまう。
するとその人はその大したことじゃないことが気になり、
自分にとっての意味付けをしてしまう。
その時に、統合失調症というのは認知機能の障害も伴うものなので
(これはきっとドパミン系とは違う病態があるのだろう)
何でもないことに奇異な認知をして誤った意味付けをしてしまう、
すなわち妄想が成立してしまうのである。

このように考えると、
抗精神病薬による治療が奏効している患者さんに妄想を語らせた時、
過去に起こった妄想を否定する人は少なくて
「今もその考えはあるが、気にならない」
「今はそのように感じることは無くなった」などの感じ方をするということの
メカニズムを非常に上手く説明することができる。

また、抗精神病薬をあまりに多量に投与してしまうことで
意欲喪失や感情の平板化といった二次性の陰性症状が起こることも
この理屈を使ったら上手に説明ができる。
ドパミン神経の発火が全く無くなれば、それは動機的サリエンスの消失であり、
学習や想起が起こらなくなってしまうために何事も他人事になるのだ。

もちろんドパミン神経をブロックする現在の抗精神病薬によって
全ての患者さんで妄想が改善されるかというと残念ながらそんなことはないので
おそらく他の神経の働きもあるのかもしれないが
もし今回初めて動機的サリエンスという言葉を聞いたという人は
まず一度、先に紹介した長嶺先生の本を読んでみて
その考え方に従って統合失調症患者さんの症状を理解し、
現在の抗精神病薬の用量が本当に適切なものであるのかを
再考してみてはどうだろうか。

災害と精神科病院

このたび発生した大地震、
経過とともに少しずつ被災状況の全容が明らかになってきましたが
まだまだ悲惨なことが出てきそうな勢いです。

被災者の方々におかれましては、心よりお悔やみ申し上げます。


さて、
仕事しながらふと思ったんだけど、

うちみたいな精神科病院が被災したらどうなるんでしょ?

もちろん現地にはそういう被災した施設があると思うのだが・・・

病院だからライフラインが止まったらそれだけで致命的だが、
道路などが寸断されたら「薬」が手に入らないじゃないか!

うちの場合は入院患者さんに対しては
だいたい1週間ずつ調剤してるので
おそらく1週間は持ちこたえることができる。
しかし、そのあとは・・・

う〜ん、
薬が切れた精神科病院・・・想像したくない(^^;
自傷他害の恐れがある人を隔離しておくことはできても
薬が無いと落ち着かせてあげることもできないし、
うちの場合は閉鎖病棟の電子キーってどうなるんだろ?
停電したら、手で開くような気がする。

うちの病院、火事に対する訓練はやるけど
地震なんて想定してないだろうなぁ(^^;
まあ広島ってあまり巨大地震が起きないところだし。

しかし、相当医薬品が不足すると思うので、
品目によっては全国的に供給不安となる医薬品が出るかもしれない。
あまり考えたくないが、
もしかすると不必要に買い占めに走る病院もあるかもしれない。
今後の動向を広くアンテナ張ってチェックしていかないといけないだろう。

自分と向き合う

今日の外回りのお客さんの一人、

リストカットしてますた_| ̄|○



ツイッターで速報した通り、
それこそ猫に引っ掻かれた程度だったのだが、
そういう行為をしたというだけでやっぱり凹む。

アルコール依存症の男性。

何かの依存症に陥る人は、
やっぱり何かと依存的な人が多い気がする。

一人だと寂しい。

誰かに甘えたい。

でもみんなに愛想つかされるようなことをしておいて
自分がしてきたことの間違いに気付いていない。
全部他人のせい、会社のせい、国のせい、時代のせい、運命のせい。

自分を省みる痛みに向き合う勇気も無い。
自分を洞察する必要も感じてない。

そのくせ他人には自分を分かって欲しいと思ってて、
分かってくれないのはそいつが悪いと思っている。



ふーざーけーんーな!



とはいえ、
そういうのは自分の問題点に気が付いて、
少しでも生き方を変えようとしている方に向ける気持ちではない。
自分を変えようとする人には持てる力の全てで手助けしていきたい。
それが精神科医療に携わる人の基本理念ではないだろうか。

「自分はもうこれ以下は有り得ないほど堕ちた」
と感じるのを『底つき体験』という。
そこから自分と向き合うことができ、治療が始まるのだ。

もちろん精神疾患を持つ人全てが依存的だと言っているのではない。
底をつく体験も全員に必要なわけではない。

しかし、病気を持つことを機にして
自分の生き方を見つめ直すことの大切さはどの病気でも変わらない。
その時に、「病気がありながらも充実した自分」になれるよう
我々は「微力ながら」お力添えをさせていただきます。

人の心は天気のごとし

今の仕事をするようになって、
いや、今の職場に移籍してたくさんの患者さんに相対することになってから
人間の心というものに対する関心が高まった。

それで、いろんな人の言動を観察して
その根底にあるモノは何なのか日々考えてばかりいたら
他人の心を洞察するのは本当に難しいということが分かった。

まあ、当たり前ではあるんだが(笑)

いくら人間の心を理解しても、
だいたいありがちな傾向というのは分かってきたが、
その時々の反応、アウトプットというのは
「感情」というものが絡むから本当に予測ができない。

「感じること」というのはコントロールが効かないものなんだなと
今日改めて思ったのでネタにしてみる。



誰かをイラッとさせようと思ったら、
実はその人のコンプレックスをつつくのが一番だ。

コンプレックスとは「劣等感」のことだと思ってる人が多いが、
実は少し違う。

誰でも何となく経験があるのではないだろうか、
自分の中の「嫌な自分」をつつかれたり、
あるいは数少ない「自分の優位」を否定されたりして
カチンときたことが。

それとはまた別に、こういうパターンもある。

これまで自分を成長させるために一生懸命頑張ってきた自分。
その過程ではいろんな誘惑や弱さを退け、
仕事上でも人間的にも価値を磨いてきた自分。
そんな自分はそれなりに評価をされている実感もあるのだが、
これまで切り捨ててきた弱い部分、
ひたすら抑えてきたわがままな部分、
実はそんなところを全面に発揮している人がいて、
結構身近で適応、順応、評価されているとしたら?

自分が否定してきた自分が周囲の人に肯定されることで
間接的に今の自分が否定される(ように感じる)パターンだ。

その人が褒められてると、
つい毒の一つも吐きたくなる嫌な自分が現れて自己嫌悪する。

こうやってその心の仕組みは理解してるんだけどね、

分かっててもイラッと感じるものは感じるのさ。

感じることは仕方が無い、決して悪いことではない、
とは患者さんに話すこともあるんだけどね、
いざ自分のこととなるとそうやって頭で理解して
心が落ち着くかと言われるとそうでも無い次第で・・・_| ̄|○

ただ、
そういうことに気付いてるかどうかは
その後の行動に影響を与えると思ってるので
自分の心を洞察することは決して無駄ではないと思うところ。

感じることはコントロールできないが、
なぜそう感じるかを理解していれば
次の行動に活かせるのではないだろうかというのがワタクシの考えです。
天気はコントロールできないが、
今日は雨が降ると分かっていれば傘を持って出かけると言えば分かりやすいか?

人間の精神というところは面白い。

ツイッター活用法

うちの患者さんには数名ほど頻繁に電話をくれる人がいる。

もちろん、薬に対する問い合わせも多い。

主治医に説明されても、窓口で説明されても、
やっぱり不安に思う人は思っちゃうもんね。

そりゃまあ、仕方ない。

薬局内のお仕事(調剤だけでなく医師や病棟スタッフからの問い合わせ対応など)が
超クソ忙しい時にそんな電話がかかってくりゃ多少イラッとする気持ちもあるが、
それもまあ仕事のうちだと思ってにこやかに対応するようにしている。

が、誰かに話を聞いて欲しいだけだったりすることも多々あり、

どうでもいい相談をされると正直申して困ったりもしますよ(^^;

いつやらみたいに「屁が臭い」なんて相談されても
こみ上げる怒りを抑えて「換気して下さい」と言うしか無い。

電話で「○○の薬を飲んでみていいですか?」はまあ許すが、

その後「飲んでみました」の報告は要らんよ
頼むから横になって静かにしといてよとか思ってしまう。



ワタクシの担当患者さんに一人そんな方がおられまして、

毎日あっちこっちに電話をするから
電話代だけで生活に窮するほどになっちゃうんですよね。

それで、その背景には不安や葛藤などがあるんじゃないかということで

解決策じゃないけどとりあえず頓服薬で対応させようと提案したわけですが、

『じゃあ、電話をしたくなったらコレを飲んで下さいね!』と服薬指導すると

「今飲みましたー」と報告の電話はやっぱりかかってきた

意味ねーよ



そんなことしてたら、本日同僚から
「ツイッターさせてみれば?」と冗談だか本気だか分からん話アリ。
それで空いた時間に返信してやればいいとか。

え!?

その人に誰がやり方教えるの???

ワタクシですか!?

じゃあそのままワタクシがフォローするの?

「リスペリドン液なう。」とかツイートさせるの???



工工エエェェ(´Д`)ェェエエ工工

そこまではカンベンしてよぉー

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