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EBMって何でしょう?

さて、年末になりました。
今年も多くの方々のおかげで有意義な一年だったと思います。
今年出会った多くの方々に改めて御礼申し上げますとともに
来年訪れるであろう出会いに希望を膨らませたいと思います。

普段言いたいことはツイッターでつぶやいてますんで
最近改めてブログにまとめるような欲求不満も無いので(笑)
すっかりJJCLIP配信や講演の告知ばっかりの更新になっちゃってますが
まあこういう機会に少し書いてみましょうか。

とはいえ、今日の話は先日続けてツイートしたことに関連してですが(^^;)

EBMって何でしょう?
Evidence Based Medicineのことです、と言いたいんじゃありません。
Wikipediaには「治療効果・副作用・予後の臨床結果に基づき医療を行うというもので、専門誌や学会で公表された過去の臨床結果や論文などを広く検索し、時には新たに臨床研究を行うことにより、なるべく客観的な疫学的観察や統計学による治療結果の比較に根拠を求めながら、患者とも共に方針を決めることを心がける。」と書いてありますが、
そんな解説をしたいんでもありません。

先日、一緒にJJCLIP配信をさせていただいている青島周一先生
ご自身のブログに「EBMの思想」と題して非常に興味深い考察を述べておられます。

地域医療の見え方:EBMの思想

ワタクシがEBMに出会ったのはもっと昔、10年ぐらい前なのですが、
最近になってやっと気付いたことを見事に言語化して下さってます。
その慧眼には本当にかなわないなぁ、と思うんですが、
その記事を読んだ感想をいくつかツイートしたところ、
それらをとある方がtogetterにまとめて下さいましたので
それほど興味を持っていただけるなら、
今日という日にもう少しまとめておこうかなと思います。

青島先生はEBMを「思想」という風に表現しましたが、
これはきっととりあえずの言葉であって、
本当に思想にカテゴライズしたわけではないだろうと思っています。
EBMを「主義や思想」にしてしまうと、それは必ず相容れない集団を生みます。
なぜなら、人間は言語で現実を捉えて共有しているために
その現実をシェアできる集団で社会を構成していますが、
言うなればその共有された現実こそが文化であり、
主義や思想であるからです。

もちろんあらゆる主義や思想を寛容に受け止める人が増えれば良いのですが
その点では私はあえて「とりあえずの言葉」を使うなら
「EBMは原理主義でなければならない」と言ってしまいましょう。
EBMの実践において「EBMっぽい実践」なんてのはありませんで、
エビデンスがあるにせよ無いにせよ、エビデンスレベルが高かろうが低かろうが、
結果的にエビデンスに基づいた行動がとれるにせよとれないにせよ、
それらを正しく踏まえた医療を心掛ける以上それは紛れもないEBMだからです。
例えばEBMをよく理解してない人は対立概念にNBM (Narrative Based Medicine)を持ってきたりしますが、
NBMも結局どこにフォーカスするかの言葉の問題であって
「EBMとNBMの融合が大事で・・・」なんて言い出すと
本当に意味不明なトンチンカンなことになりますよね?
だからEBMはピュアなものしかありえないのです。

ただ、EBMを原理主義だとしてしまうと、
それをシェアできない人に対して排他的になってしまいます。
主義思想という共同幻想をシェアできない人とは対立することになります。
ワタクシはEBMをそんな風に持って行きたくないわけですが、
現実的には、既にそうなっている雰囲気もあったりするので、
まあそんな思想、宗教みたいなもんだと捉えられても仕方ないかなぁ、
そこでEBMを否定する人には反論もしていかないといけないかなぁ、
と思いつつ布教活動(笑)みたいなことをしていこうかとも考えています。

じゃあEBMって何でしょうね?
とりあえずは、薬剤師がその殻を破る武器にはなるでしょう。
ただその武器は他人を攻撃するものではなくて、
患者さんや他職種とより良く関わってより良く仕事するためのものです。
それを邪魔している殻・・・知らず知らず作り作られた殻・・・を破るために武器を手にするのです。
青島先生は先に紹介した記事で
「EBMはエビデンスを用いながら人と人をつなぐ架け橋になる、そういう仕方で実践されるべきである」
と主張されましたが、まさにその通りで、
EBMを実践する時にはそこを心掛けなければなりません。

恥ずかしながらワタクシは、
「人を斬るためのEBM」を使ってた人だったんですよね。
「批判的吟味」を文字通り批判的にやっちゃってましたし、
エビデンスが示す医療を行わない人、行われない現実にも
批判的に考えたり主張することもありました。
ですがそうやってEBMを振り回してみたところで、
結局ストレスが溜まるだけだったんですね。
そもそも答えの無い問題にできるだけ正しそうな判断をしていくのがEBMの実践であり、
結局どんな行いも正しいとか正しくないとかなかったんですよ。
明らかに害があったり法的倫理的に問題があるというわけでもない限り、
EBMは正しさを決めるためのものではありません。

だからワタクシがEBMについて主張したいのは以下のことです。
EBMという呼び方にこだわらず、現時点で入手可能な最良の根拠をできるだけ正しく現場に適用していく方法、および経験の不足を補い合えるより良い学習方法についてシステマティックな学びと実践をしていきましょう。
ですがそれを適切に言い表す言葉がまだ見つかりませんので、
とりあえずそれを「EBMの実践」とか「EBMスタイル」とでも呼ばせて下さい。
これはよく考えたら、医療者としてごくごく当たり前の(理想的な)行動様式です。
とすると、特に名付けるまでも無いような気がします。
そう、まさに「息をするように」行えればいいんです。
ただ、正しい呼吸法は何もせずに勝手に身に付くものではありません。

呼吸は誰だってしますよね?
しかし、その呼吸にも作法というものがあります。
武道なり茶道なりやったことある方なら今きっと頷かれてると思いますが
(ちなみにワタクシは大学〜大学院の間ずっと弓道を嗜んでおりました)
正しい呼吸無くして正しい立ち居振る舞いも絶妙な技もありえません。

そうか、EBMは呼吸法だったのか。
医療の道、薬剤師の道に大切な呼吸を
ちょっと横文字で表わしただけだったんですね。

ということで、
年の瀬に徒然なる思いを徒然なるままに書いてみました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。



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