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実験君シリーズ『自分撮り写真で免許証作ってみる』

5年に1度とはいえ、めんどくさい運転免許証の更新の時期がやってきた。

そこで、更新のお知らせハガキを眺めながら
何か面白いことができないかと考えていると閃いた!


これ、自分撮りでもイケるんじゃね?

免許証更新時には写真が1枚必要となる。
これが、うちみたいに警察署での更新手続きとなると
自分で用意して持って行かなければならないのだが、
その写真についてはサイズと撮り方が規定されてあるだけで
何で撮った写真かは指定が無い。

要するに顔が分かればいいんでしょ?

ケータイで撮ってやれwww
普通に自分撮り機能を使って自分一人で撮影。
ちなみに撮り方は例によって
ツイッターやフェイスブックのアイコンにも使ってる
キャバクラ嬢直伝のやり方なのだが、
あまりやり過ぎて「誰これ?」となっても困るので
少し控えめにしておいた。

これをiPhotoに取り込んで、
若干の「補正」を加えw
普通の写真用光沢紙に印刷。
そして既定のサイズに切り揃えて、警察署へ。

・・・・・・

とりあえず普通に更新手続きを窓口で始め、
いよいよ写真提出の段階になった。
「写真は持って来られてますか?」

「あ、これでお願いします」
アノ写真を差し出す。

「え・・・ちょ、ええっ!?」
ワタクシの顔と見比べながら窓口のお兄さん困惑www
隣のおばちゃん警察官に「これどう思います?」と聞いてやがる。
この時点で既におかしくて仕方なかったんだけど、
そこはぐっとこらえてクールに対応。

おばちゃん警察官が聞いてきた。
「あの、これって自分で撮影された写真ですよねぇ?」

「ケータイで撮りましたが、何か?」

「ええ!?ちょっとそういうのはどうなんですかねぇ」

「ダメだとはどこにも書いてませんが。」

「ええ、まあそうなんですけど・・・ちょっと聞いてきます」

と、奥の方へ写真持ってって上司っぽい人に相談してるしwww
上司っぽい人も腕組みしてこっちをチラチラ見てるしwww

その後上司っぽい人がやってきて
「明らかにダメだとは言えないので一応は受理しますが、
 これって免許センターの方に送られてそちらで免許証にするんですよ、
 だからその段階で不鮮明と判断されて再提出になるかもしれませんが
 それでも構いませんか?」

判断を免許センターに投げて逃げやがったwwwwww

「ええ、まあ、そうなったらその時考えます」
と答えて手続き完了♪



そしてそのまま連絡も特に無く、免許証完成!
素晴らしい!
マジでケータイで自分撮りしたのが免許になったwww

ただ、以前の免許証の写真(写真屋で撮ってもらった)と比べたら
さすがにキメが荒くあまりイカス感じではない。
でもコストはそれこそ数十円だし、
自分で気に入るまで何度でも撮り直し可能なので
自分撮り写真で免許証作るのも悪くないかもしれない。


相方のケータイをチェックするのってアリ?

恋人や夫婦で相手のケータイを覗くって
果たして良いことなのかどうか?

実はちょうどそういう事例と相次いで出会ったので
今回の話をふと書いてみた次第。

まあ、結論から申し上げると、
必ずしも悪いことだとは思わんが、大人なやり方とは思えない。


ケータイなんていうおそらく個人のプライベートの核心に
最も近いであろうところを探ろうとするのは
自分の自信の無さの表れなのであろう。
つまり嫌われるんじゃないかとか
浮気されるんじゃないかとかいう
自信の無さから生まれた不安を埋めるためにそこを覗こうとする、
というネガティブな心理に起因する行動である。

ただしそういう思いでケータイを見せてもらったところで
残念ながらその先はいばらの道である。

例えばそれで無事何も疑わしいところが見つからなかった。
では、だからと言ってケータイを覗いた人は安心できるだろうか?
たまたま無かっただけかもしれない・・・
事前に消したのかもしれない・・・などの疑念が涌き起こり、
一度のチェックで気が済むはずがなかろう。
一度やってしまったが最後、きっと次もまた覗きたくなる。

一方でケータイを見せるのを嫌がったとか、
こっそり見ようとしたらロックがかかってたとか、
そういったケースになると疑念はさらに増幅する。
もちろん疑わしいものが見つかった場合はさらに疑念が膨らむことになる。
そこで思い切って追求すれば痛過ぎる事実があるかもしれないし、
そのような「不幸な告白」が無くても疑念を消す材料にはならんし、
そうかといって追求できずに黙っておけばずっと悶々とすることになる。


つまり、
そもそも不安に思うことを相手の内面を暴くことで解消しようとするのが
浅はかで子供っぽい考えなのだ。
どんなに親しい間柄であれ、
個人個人には侵してはならない領域というのがある。
またハッキリさせない方がいいこと、
知らない方がいいこと、
忘れた方がいいこともある。
それらをいちいち白黒つけずに清濁合わせて飲み込んで
目の前の相手の良いところと自分との関係性だけ純粋に見ていけるのが
本当の大人なんじゃないだろうか。

別の言い方をすれば、
最初から「不安色のメガネ」をかけて相手を見ていては
最後までそのメガネを通したものしか見えないんだよね。
そこに自ら気付くことができるかどうかが
その人の知性や度量に影響するんじゃないだろうか。

こういったことを理解してもらった上で少し厳しい意見を言えば、
そもそも
「ホントにやましいことが無いならケータイぐらい見せれるはず」
とはどういう理屈で言うのだろうか?
その裏にあるのは
「まずはこっちを安心させて。そしたらあなたのことも信じてあげる」
ではないか?
それって一体何様のつもりだ?順番が逆だろう。

例えばどうしてそんなに不安になるのか素直に話して相手に理解を求めた後に
相手の意思に任せてケータイをチェックするのはありだろう。
しかし相手に黙ってこっそりチェックするってのはいかに浅ましい行動か、
心当たりのある人は一度よく考えてみるといい。

恋愛に限らず人間関係の基本は「ギブアンドテイク」だ。
まず与えよう。さすれば与えられる(かもしれない)ものだ。
それなのに相手に差し出すのがまずは「踏み絵」ってのは
いくらなんでもおかしいよね?



ということで、
ワタクシは細君のケータイなんぞ
見ようとしたことも無いしそもそも興味が無い。
向こうもそう思ってるはずだ。
そういうことをお互いに話し合ったわけではないが、
そんなのは他人を愛し信じるにあたって
何の役にも立たないことを知っているからだ。

最後に少しカッコつけた意見を言うとしたら、
本当にその人のことが好きなんだったら
「自分を傷付ける権利」ぐらい気前よくくれてやれよ!
といったところですかね。

では皆さん、
相手を信じる度量を磨いてよりよい恋愛を。



JUGEMテーマ:自分の恋愛観 

反原発は宗教である

先日、とある友人とツイッターで原発の是非を巡る討論をしていたのだが
彼は穏やかな脱原発派であり、ワタクシは原発容認派という意見の違いはあっても
再稼動まで反対するのは合理的ではないという点では意見は一致していた。
そこでワタクシが「原発再稼動反対!即時廃炉!」と叫ぶ極端な反原発派を
「彼らは群れる女子みたいなもんで、一人じゃトイレにも行けない」
みたいなコメントを引用して表現したところ
熱心な反原発派の方にご意見をいただきました。

ツイッターは発言が全てweb上にログとして残り、誰からでも見えるので
勝手に引用させていただきますけども、
その方は
「子供の甲状腺ガンがチェルノブイリよりはるかに早く発見されました 子供たちの命 家族の命 日本の方々のすべての命とすべての美しい土地 私はそれが失われていくなら悲しく思います また事故がおきたら大切なものが全て一瞬で消えます」
と言うのです。

そもそも、ワタクシは
別に反原発派だろうが何だろうがその価値観を否定はしないけど、
議論にならない話で他人の価値観を変えてやろうっていう
あの傲慢さは何とかならないもんかなぁ・・・と思うことがあります。

ワタクシはもし低線量被曝の害を示す妥当性の高いエビデンスが示されれば、
そして一生のうちもう一度ぐらい重大事故が起こると懸念するに値するような
(例えば車に轢かれて死ぬ程度の)リスクがあると示されれば
いつでも負けを認めて反原発派に回る覚悟はあります。
では反原発派のそのような反証ポイントは?

その方は結局それを示されませんでした。

この場合はつまり、
反原発派の主張をこちらが仮に全て論破したとしても考えを変えない、
「自分が嫌なものは認めない」という駄々っ子の屁理屈で戦っていることになります。

実際にその方の重要な主張をいくつか反論してみましたが、
もうつまるところ

「原発の存在そのものが邪悪である。それと戦うのが正義である」

この信念に突き動かされているとしか思えない。
これってもうただのカルト宗教じゃない?
だってそれを支えるのは科学ではなく
「神は存在するかどうか」みたいなのを扱う形而上学の世界だと思う。
一応それを支える理論として

「原発事故はいつか必ずまた起きる」
「放射能のリスクは無限に危険だ」
などがあるが
これらも科学では否定しにくいところだ。

特に前者は科学的にはどうやっても否定の出来ないところで
他の便益とのバランスで配慮するしかない。
確かに原発事故は明日起きることも否定はできないが、
確率論として10年で1回起きるのか100年で1回起きるのかでは意味が異なる。
後者もまた科学的には否定できないところで
有意差が無いからと言って差が無いとは言えないので
マトモに科学を分かっている人ほど口ごもってしまうが、
これだけの大規模調査をして有意差無しという結論であれば
その害はあってもごくわずかなものであろう。



もちろん個人で、
あるいは内輪では何を主張しても何を信じても良いと思いますが、
個人的な妄信や価値観を根拠にして
社会的に不合理な話を進めようとするのはまっぴらごめんなわけですよ。

だってそうでしょう?
いろんな人の利害や価値観が交錯するけど
国家としてどこか最適な方向に進んでいかなければならない時、
一部の国民の反対にあっても行わなきゃならないことだってあるでしょう。
その時にしぶしぶながらも納得できるのは「論理的な合理性」であって
誰かの好みで決めるような政治であって欲しくないわけです。


ワタクシは穏やかな脱原発には一理あると考えるが
再稼動まで反対する急進的な反原発論は
自分たちの価値観で社会に害悪を為そうとするカルト宗教団体であると断言する。
それは彼らの正義や善意によっての行動なので「悪党」とまではいわないが、
それこそ「オウム真理教」と性質は大して変わらないと思うのであります。

ということで、
この話に反論がある人は
自分はどこを論破されたら説得に応じるかをまず考えていただきたい。


人間は完全ではない

人間は神にはなれない。
なぜなら不完全な存在であるからだ。

ゆえに、「人間は良いことをする手で悪いことをする」。

ここ、大事だと思います!
つまり、善人にも悪事を働く可能性があり、
どんな悪人にも更正の可能性はある。
その時の状況やそこに至るまでの過程で人間の行動は左右されるものなのだ。

また、人間は先のことを完全に見通すことができない。
だから、良いと思ってやった行いが必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。
逆に悪徳だと思われていたことが良い結果をもたらすこともある。


例えば医療においては、
多少なりとも患者さんの行動を変えたり従わせたりするのであるから、
「かわいそうだから」などの心情や
「これがベスト」という独善で動いてはならないと考える。
我々は動機や手段ではなく、結果に責任を持つべきであろう。


これを応用して、同じロジックで政治を考えると、
政治とは暴力を独占するシステムであるから、
(国民に殴り合いをさせないという意味で)
医療以上に結果に責任を持つべきである。
原発問題に垣間見える穢れ思想みたいな純粋な動機で
日本を貧しい方向へ導いて欲しくないものだ。




寿命はカネで買えるか?

ついに寿命もおカネで買う時代に?:日経ビジネスオンライン

格差問題が世界的に叫ばれる昨今であるが
どうやらそれは「健康格差」というところまで話が発展したらしい。

確かに医学が未発達だった大昔は
経済的に豊かであろうとなかろうとあまり差はなかったかもしれない。

しかし今は金持ちは自由に先進医療を受けることができて
貧乏人は満足な医療すら受けられないから病気で早死にする。

本当だろうか?

これは一部は真実であるが、他はそうでもないと言えるのではないか。

色々反論はあろうが、
例えば医療費が無料である英国においても
そのような金持ちと貧乏人の健康格差が見られるということは
健康にはお金以外のファクターが重要なのではないか。
それは冒頭に紹介した記事にも書かれており、
その点では記事のタイトルはけしからんミスリードを呼ぶ付け方だと思う。



しかしまあ、
よく考えてみると長生きすることが真に最良のアウトカムかどうかが疑わしい。
その前に健康であることが幸せであるかどうかも普遍的とは言えないのではないか。
そのように考えると、
「健康格差」なんて最初から最後まで無かったのかもしれない。
つまり個人個人が自分らしく生きることができたらそれで良いではないか。
(もっとも、お金が無いよりはあった方が自分らしく生きるのは簡単になるだろうが)

一方、生きるということは取捨選択とそれによる結果の甘受の連続だ。
つまり、生きていることそのものが投資行動だと言える。
ということは、
そこに長けた人が金銭的にも健康的にも豊かになるのは
言ってしまえば当たり前なのではないだろうか?

「投資に必須なものは感情すなわち欲望のコントロールである」
というのがワタクシの持論である。
というか、マトモな投資の本を読めばたいていそういう風味なことが書いてある。
それでまあ、それができない人はあらゆる意味で資産を殖やせないのだ。

つまり、

金が無いから不健康になるんじゃない。
欲望をコントロールできないからこそ太ってるのだし貧乏なのだ。

ということで、お後がよろしゅうございますか?




残念な太陽光発電

ある時、ふと気になって調べてみた。

日本の年間総発電量がおよそ1兆kWhで、
国内最大の23haもあるメガソーラー発電所が年間1370万kWhってことは、
単純計算するとそのメガソーラーを72993箇所作ると
日本の電力は全て太陽光で賄えるわけで、
それに必要な面積は23ha×72993=16788平方kmなので、
例えば全国的に晴天の多い岡山県+広島県+香川県を
全て太陽光発電パネルで覆い尽くし日光を奪ってしまえば良いわけですな!

仮に太陽光発電の変換効率が倍ぐらいに進歩して、
全体の半分は他のエネルギー源で発電するにしても
広島県の半分ぐらいは太陽光発電に供さねばならない計算になる。

未来は明るいんだか暗いんだか(笑)

電力を何に頼るかという問題ではコストばかりが議論されるが
それを取り出すのに必要な「密度」も議論しないんじゃないかと思う次第。

まあ、この例に出した国内最大のメガソーラー発電所が1年かけて生み出す電力は
原発1基が数時間稼動したら余裕で生み出せてしまう程度なんだけど
その辺の差もいかんともしがたいものですなぁ(^^;)

別にワタクシは原発推進でも反太陽光発電でもない立場ですが、
こうして客観的数字を見ると・・・ねぇ。

規制緩和された医療の世界で薬剤師がすべきこと

先日、ツイッター上で「TPP参加によって混合診療が解禁されたら向精神薬の乱用が増える」ということを危惧するツイートを見た。

なるほど、自由診療の併用が認められるようになれば
無制限に向精神薬を処方してもらえるというわけですな!

しかし、ワタクシが思うに、それは行き過ぎた勘違いか
さもなくば意図的に不安を煽動しているのではないか。

なぜなら、現行の保険診療は自由診療との併用を禁止しているわけであって
自由診療そのものを禁止してはいないからだ。
そして自由診療における医療費というのは全く決まっておらず
(いわゆる公定価格は自由診療においてはあくまで参考価格である)
つまり医師と患者間の合意があれば
現行制度でも向精神薬は(保険を使わず)いくらでも出せるのである。

「保険を使わないと全額自己負担になるから高い」というイメージがあるが、
自由診療なら値切ることも、何かの義理でタダにしてもらうことも可能なはず。
もちろん向精神薬は同時に「処方せん医薬品」として規制されているから
自由診療といえど診療録はきちんと記録し、所定の処方せんを発行しないとならんが
その気になれば何でも無制限に処方できるのですよ。
逆に医師が処方せんを書きさえしなければ向精神薬を合法的に入手する方法は無い。

ではなぜそういったことが実際には可能なのに問題になっていないかと言うと
それはひとえに「医師のモラル」のおかげではないだろうか。
だから「混合診療解禁→向精神薬の不正処方増」というのは
その間に「医師のモラル低下」というのが入らないと論理として成立しないわけで
確かに自由診療の部分が増えるとかなり市場原理が入ってくるから
競争や経済的インセンティブというファクターは増えるのだろうが
それが医師のモラルを低下させるというのだろうか?
だとしたら、医師に失礼じゃありませんかい?

もちろんごく一部にはそのために不正行為を働く人が出る懸念があるでしょうが、
それは患者や社会の不利益を為したことに対する罰則と
薬剤師も含めた適切な監視システムを作れば
かなりの部分は防げるんじゃないでしょうか?

一方、
向精神薬への依存の形態は、ある意味借金への依存にも似ている。
上手に使えばメリットは極めて大きいが、
使い方を誤ると抜け出せなくなり、我が身を滅ぼす。
セルフコントロールを身につけることと同時に「良きコンサルタント」が必要なのだ。

そう思うと、向精神薬の規制は貸金業法の規制にも通じているかもしれない。
規制を強化するのは手間とコストがかかるのに「闇市場」がはびこりやすくなる。
例えば一昨年貸金業法が強化され、年収の1/3までしか消費者金融で借りられなくなった。
それで借金にまみれて首が回らなくなってるような人が救済されたのだろうか?
ちょっと考えれば誰でも分かる。
そういう残念な人は借金に依存する体質が変わらない限り、
借りられるところを探して破産するまで借りていくだけである。
ヤミ金業者が暗躍しているのではないだろうか。
そんなの実態調査できないから想像でしかないけども。

薬にしてもお金にしても、
本当に大切なのは上手な使い方を教育していくこと。
あなたは学校で上手な借金の仕方を教わっただろうか?
「借金はダメです」とかは言われるかもしれないが、
社会に出てみれば車や家のローン、クレジットカードをあちこちで勧められる。
向精神薬の使い方にしたって似たようなもんである。
それらに依存的な体質の人は何かのきっかけで目の前に出されたら依存してしまうし
依存してしまった後でそれらを取り上げたところで何の解決にもならないのだ。

国があれこれ口を挟む「規制」では医療の質は向上しない。
国がすべきはそのような規制はできるだけ少なくし、
参加者みんなが公平にプレーできて、違反が無いか監視し、
不正を為した者はきちんと退場させるルールを作ることである。
薬剤師にとって必要なのは、規制を守ることじゃなくて
規制緩和された医療の中で必要な監視の役割を担えるようになり、
医療者や患者にとって薬についての良きコンサルタントとなることではないだろうか。


震災がれき問題に見る日本人のエゴイズム

なにやら震災がれきの受け入れが話題になってるみたいらしい。

ネット上では、あーでもない、こーでもないと色んな主張を見ますが、
ワタクシとしては
「負担はみんなで分かち合う」か「自己責任で処理する」か
という軸ぐらいしか論点が無いと思うんだがどうだろう?乱暴ですか?
放射能とくっつけて議論する人がいるけど、
福島県はとりあえずは地元で処理するつもりみたいだから
それは別問題ではないかと思う。

さて、
そのがれきの発生状況であるが、
岩手県では平時の11年分!
宮城県では19年分!!もの瓦礫が発生しているという。
市町村単位で見たらもっと悲惨で、
なんと宮城県女川町では100年分以上!!!だそうな。
つまり被災状況によって極端に負担の差がある。

これをどうすべきか?

もし「自助」が大事だというのなら、
お気の毒だが被災地には運が悪かったと思って頑張ってやってもらうしかない。
そのかわり次に日本のどこかで大災害が起こったら、
被災者で何とかしないといけない。
それはそれで主張としては良いことだと思う。

しかし「共助」を大切にするというのなら、
被災地の痛みの一部は我々の痛みであり、
痛みとともに負担を引き受けなければならないのではないか。

ワタクシがこの議論を聞いてて違和感を感じたのは、
共助の精神で瓦礫を広域で処理するのであれば無償で引き受けるべきなのに、
国の補助だとか経済的インセンティブを付けようとしているところだ。
そういうのとともに引き受けるのは痛みを分かち合っていないことになり変な話なのだ。
がれきを引き受ける自治体は自前の費用で処理すべきで、
それが足りなければ住民から税金等で集めるべきなのではないか?
そうではなく、どっかからお金をくっつけてきてそれで処理してもらおうというのは
それは共助ではなく商売という。

ただ、現実問題として
少しでも早く瓦礫を片付けるべきという前提に立てば、
そうでもしないとやむを得ないという話は理解できるとともに、
日本人のエゴイストっぷりに正直失望するのである。
「かわいそうだから何とかしてあげなよ!」と言いながら自分は何もしないのである。

その一方で、瓦礫受入反対派には
2252万トンのうち400万トンを県外で処理するって、それぐらいだったら地元でやれ」
というのがいるが、
これもまた酷い言い様ではないか。
老人に重い荷物のごく一部でいいから運ぶのを手伝ってと頼まれて
「時間をかければできるでしょ」と言うようなものだ。

この問題ってね、医療制度でも同じことが言えるんじゃないかな〜と思います。
その辺のことはまた別の機会に語るとするけど、
病気だとか突発的かつ重大なものに個人で対応するのは難しいから保険がある。
そのベースには共助の精神がある。
それを壊しかねないエゴイズムには気を付けましょうよ。

消費税について語る

いよいよ来そうですね、消費税の増税が。

もっとも、社会保障のための財源として考えられているとのことなので
我々医療関係者もいずれ診療報酬などの形で返ってくるわけで
その動向には注目しなきゃならんと思うのですが
それでまあブログとかツイッター読んでたら
TPPの次は消費税がネット世論のブームか?というぐらいの勢いだったので
それを読みながら思ったことを書いてみる。

ちなみにワタクシの考えとしてはTPPよりはどっちでも良い。
ただ、現在の社会保障制度を維持するのなら消費税引き上げは必要だろうし
増税しないなら年金や皆保険制度はいずれ解散か大幅縮小もやむを得んだろう。
年金はもうアテにしてないから消えて無くなってもいいけど
皆保険制度の縮小は立場上ちょっと嫌だなぁ、というのが正直なところ。

そんなワタクシの個人的意見だが、
案外、消費税ほど公平な税は無いと思う。
会社の金でベンツ買って節税に熱心な社長さんから
どこからどこに収入があったのか把握しづらい政治家も、
さらにアングラな裏社会の方々まで全員漏らさず
消費した金額に応じて税を徴収できるのだから。
ただ、医療機関みたいに仕入れは消費税払うのに
利用者から消費税取れない業種には何か対策が必要かと思う。

ついでに言うと、
「食料品など一部で軽減税率」なんてナンセンスだと思うんですが。
計上と徴収が複雑化してコストがかさむ上に、
例えば食料品と雑貨を売ってる店があれば
食料品の売上をごまかして脱税することが可能になるのでは。
(ワタクシが商店の経営者なら真剣に検討してしまうw)
低所得者対策は給付付き税額控除など「負の所得税」で議論すべきだろう。

結局仕事などでもそうだけど、
あれもこれも言ってたらシステムがどんどん複雑になる。
もっとかゆいところに手を届かせようという気持ちはよく分かるが、
そうやって追加したシステムで結局知らないうちに自分の首を絞める、
なんてことは普段の仕事でもよく見てたら時々ありますよ。

そうじゃなくてドカンとシンプルなシステムを創り、
あとはその上手な使い方を広めていくのが追求すべき理想では。
これ職場でも政治でも同じだと思うんだけどな。

世の中には「仕事を増やすことが仕事」みたいな職場もあるみたいなので
そういうとこにどっぷり浸かってる人には理解できないかもしれませんが。

年頭所感

皆さんはこの2012年をどのような気持ちで迎えただろうか。

ワタクシは例年のことだが、静かに希望に胸膨らませている。

昨年は震災や原発事故などあり、最悪な年であったとは思う。
しかしそれはいつまでも最悪と言うべきだろうか。


人間は過去の出来事、経験から学んだことを
未来に活かしていくことができる。

どのような不幸があろうと、それが無ければ気付かなかったことや
掴めなかった幸福というものが未来にはある。

ただ、それを探し出して手に入れるのは
自ら行動しないと難しいことでもある。


人生において主体的に行動しよう。我々は運命の奴隷ではない。

過去の事実は変わらないが、その意味付けは変えられる。

被災された方々にとっても、いつか2011年という年ですら
未来の幸せの一部となっていくことを祈るとともに、
ワタクシも皆さん一緒に過去を変え、未来を創っていきたい。

ということで、
今年もよろしくお願いします

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