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いつかは・・・?

最近Facebookによく出る広告で

「毎月5万円積み立てて1億円貯めよう」

みたいなのが目に付くんだが、
3級ですけど、一応FPの資格持つ立場からちょっと考察してみたら
別にその会社は詐欺とかではないんだろうけど
結構ツッコミどころ満載なのでブログの記事にしてみたい。

まず、普通に毎月5万円で1億貯めるとすると
まあ銀行とかで貯めたら166年ほどかかるわけなんだけど
それを30年でつくりましょう、というファンド(投資信託)の話。

とりあえずその宣伝のロジックとしては、

ゆとりある老後を送るためには1億円が必要である。
(月37万円×25年=約1億1千万円)
毎月5万円を複利を使って1億円に育てるには年利10%以上必要。
海外のヘッジファンドなら運用益第100位でも年利16%。
販売会社を介さず低コストでそのようなファンドを紹介&助言。
毎月5万円の積み立てで1億円は貯められる!

といったところなのだが、
まあこれをただ胡散臭いと思うだけで終わる人は思考が停止した人といえよう。
そういう人はリスクを遠ざけているつもりでチャンスも遠ざけていて
「何もしないリスク」に気が付かず経済の波に翻弄されるのだ。
なんて余談は置いといて、
ワタクシは上記のロジック自体はその通りだと思うし、
根拠が示されていることから、おそらく数字も正しいだろう。

だがワタクシはこれを買いはしないし友人にも買って欲しくない。
そう思う理由をこれから述べよう。

まず最初の前提だが、
ホントに老後に1億円も必要なのであろうか?
月に36.6万円というのは生命保険文化センターが行った調査結果だが、
これは「ゆとりある老後生活費(夫婦分)」であって
「一人当たり最低日常生活費」ではない。
夫婦での最低日常生活費は22.3万円だそうだし、
上手にやりくりすればこの金額でもたまの贅沢はできるだろう。
で、そこを年金がどれぐらいカバーするだろうか。
これはケースバイケースになるだろうが、
おそらく夫婦とも会社勤めがそれなりに長かった世帯なら×2、
まあ奥さんがずっと旦那の扶養に入ってたようなケースでも
男性の平均受給額は19万円ぐらいあるようだから
それプラス基礎年金で23万円には余裕で届くんじゃないか?

ということは、
本気で老後資金の心配をしなければならない人というのは
◯何らかの理由で無年金の人
◯国民年金しか加入していない人
ぐらいしかいないんじゃないかという気がしてくるが、
(「働いてない人」もそうだが、老後の前に仕事の心配を)
まあでもやっぱり+αの生活を送りたいとか
何らかの理由で1億円貯めたいという人もいるだろうから
とりあえず話を進めてみよう。

年利10%は妥当な数字か?
これは各個人のリスク選好度による。
ただし金利の考え方は物価との差による実質金利が大事だ。
例えば年率1%程度のデフレだと、
仮に銀行の金利がゼロであっても
差し引きで年利1%でお金が増えていくと考えなければならない。
そしてリスクは最も安全かつ流動性の高い資産と考えられる
普通預金の金利との相対で考えた方がいい。
年利10%というのは
普通預金の平均が0.02%だから500倍のリスクがあると考えた方が良い。
(ただし流動性リスクも含むから500倍元本割れしやすいわけではない)
かつて普通預金でも2%の金利が付いてた時代の10%とは100倍違うのだ。
それを選好するかどうかは個人の事情によるが
今の低金利の日本では相当のリスクを取る覚悟が必要に思われる。
ということは、その10%は海外で達成するのが妥当だと思うが、
その場合は「為替変動リスク」を伴うので同じことである。

まあ、そのリスクも全て取れるとしよう。
(というかそんなリスク高いものに大事な老後資金預けたくないが
 そういうツッコミはとりあえず置いといて・・・)
海外のファンドなら利回りが高いところがゴロゴロあるというのは事実だが
「毎年高い運用益を出しているファンドはほとんど無い」のも事実である。
そもそも永続的に稼げる投資先を見抜くのはプロでもできないはずだ。
この辺はまあ、こういった本でも読めば書いてありますが
とりあえず思うのは海外のファンドを買うのも
海外に投資する国内のファンドを買うのも基本的には同じことだし、
仮に国内ではできない方法などで収益を上げてるとこがあるとしたら
それは一考に値するかもしれないが、
何かあっても自分でちゃんと先方に連絡取って何とかできるぐらい
知識や語学力のある人じゃないとやめといた方がいいだろう。

なぜかって?
だって、
今回ネタにしてる会社が30年後も存続してる保証なんてどこにも無いでしょ?
その会社が潰れたら、どうやって資金を引き上げるんでしょうね?
もちろん資金を積み立てたファンドが30年後も存続してる保証も無いけどね。


といった感じで長々と述べてみましたが、まとめますと

1、月5万積立できるぐらい収入があるサラリーマン家庭なら
  年金だけで何とか生きれる。余裕を持たせるにしても1億円も必要無い。
2、そもそも大事な老後資金をそんな桁外れに高リスクで運用すべきではない。
  余裕資金ならそれも一興だが、高収益を永続的に出すファンドは無い。
3、その投資助言会社が30年も存続してるのか?
  もし潰れたらどうやって資金を回収するのか不透明。

こういった理由で、
ワタクシはそのような海外の高利回りファンドをオススメはしません。

もちろんワタクシはその某投資助言会社が詐欺だとか悪徳商法だとか言うつもりはありません。
ただ、そのやり方で成功する人はごく一部の限られた人であろうと考えます。


(余談)
そもそも「貯蓄」で老後に備えようという発想が良くない。
そんなことをすると長生きがリスクになるからだ。
その辺りの具体的解決法についてはまた別の話として語りたいと思います。

医療と市場原理の捉え方

年末に再政権交代が起こった2012年が終わる。
また自民党中心の政治に戻ったことで
医療や介護の方向性が大きく変わることは無いと思われるが
(そこは良くも悪くも官僚主導の政治なので)
それは今の医療や介護の問題も先送りされることを意味しているが、
それでいいのだろうか?

医療の問題について、
web上の様々な情報をこの年末休みにざっと読んでみたが
あまりにも複雑に絡み合っていてまさに魑魅魍魎の世界と言える。
「こうすれば良くなります!」といった解は無いのだろう。
ワタクシもあくまで現場にいる一人のぺーぺー薬剤師であって、
医療行政の実務はよく分からないのに自分の思う政策を述べたところで
そのようなプロの方に反論されるのがオチだろうが、
その反論には一つ論理的な問題点があることは指摘しておきたい。

まず、人間には未来は見通せないのだから、
人間の考える政策は誤るという前提を忘れてはならない。
つまりワタクシがある政策を主張したのに対して
それを誰かが批判して別の政策を主張したとして、
どっちが良いのかはホントのところやってみないと分からないのだ。
(もちろん政治的に実行可能かどうかの議論は別だが)

それは診療報酬の改定のたびに厚労省の誘導する政策のうち
いくつかは裏目に出るのを見れば分かるだろう。
それは優秀な厚労官僚であろうと失敗するものだということである。
もし、逆に厚労官僚がとんでもなくバカなのだとすると、
それは厚労省に医療の舵取りを任せる「社会主義医療」を否定することになるか
そんな彼らに自分の運命を託す医療従事者も国民もバカなのだということになる。

では自由な市場主義を医療に導入することは
それよりも悪いことなのだろうか?

これも悩ましいところだ。
もし「完全な市場原理」が働けば、
理論としては全体としての効用は最大となるはずだ。
しかしそれは要するに参加も退場も自由で
サービス提供者と消費者双方に自発的な選択が可能である必要がある。
だが医療は、例えば救急や精神科がそうであるように
自由とか自発的とは言い難い参加や選択が少なくない。
そのように効率的に市場原理が働かない部分や
第三者に影響する「外部効果」が存在する領域は
政府の関与(=規制)が正当化されるだろう。
(実はこういった主張が本当の「新自由主義」なのだが・・・)

ただ、医療に関してはそのような不具合が多いので
どうしても規制は多くなるし、その分だけ市場原理が歪んでしまう。
その分かりやすい例が米国の医療であろう。
あれはよく「市場原理主義医療の失敗」といった見方がされるが
ワタクシは数々の規制が市場を歪めた結果、
つまり中途半端な市場の害悪であろうと見ている。
その理由は簡単だ、
あれだけ医療費が高いのならそれは供給不足か効率が悪過ぎるわけで
本当に市場原理が働くのなら供給が増えるか効率改善で
サービスの価格は放っといても下がるはずであり、
そうならないのはそれを妨げる規制がある(つまり市場が歪んでる)
さもなくば結局妥当な値段なのだということになるが
さすがにそんなことはない(?)と思う。

で、日本を振り返ればどうか。
これまでの日本の社会主義的な医療は
世界的にはかなり成功してる方だと考えるのは、その通りかもしれない。
しかしそれはもう財源不足に喘いでいてとても持続可能とは思えない。
世界に誇るべき日本の医療が実は
これまでの低負担の医療費は医療従事者の疲弊と安月給、そして
国債発行という将来への負担先送りによって支えられているのだとしたら
今の医療の枠組みが変わることに誰もが感じる不安や痛みは
どうにかして変えていかなければならないと感じる次第。

また、我々は一体誰に向いて仕事をしているのだろうか?
日本のように社会主義的な医療の世界では
患者ではなく厚労省に向いて営業しないとならないのである。
「自分はそんなことしてない」といくら否定しようが
自分がしない分は誰かがそれを代わりにやっているのであり
(自分の所属団体が何の政治的活動もしてないことなんて無いだろう)
全体で見た時には医療従事者が持つリソースの一定部分が
厚労省や政治家への「レントシーキング」に使われているのである。
本来ならそれも患者さんに向けて効率的に働きたいではないか。

とりあえず最後に、
賛否両論あろうがワタクシが望むのは
もっと自由な医療の世界です。
ここについては、また長くなるのでまたの機会に語りましょう。




投票先はどうしよう?

いよいよ衆院選の日がやってきた。

ネットでの選挙運動は事実上禁止されているが、
こういうのを見て、投票先の参考にしてはどうだろうか。

今回の選挙は、投票率が低迷するのではないかと言われている。
3年前に民主党政権の誕生を後押しした無党派層が
政治そのものに失望してしまったからではないかという話もある。
政治に失望しようがすまいが、政治は続いていくし
我々の生活はそこに振り回される。
それに投票に行かないというのは
「既得権を守りたい団体との馴れ合い政治」を信任することになる。
それでいいのならそれも個人の自由だが、
そうでないのならせめてそれにはNOを突き付けてはどうだろうか?
どの政党も信頼できないというのなら、
せめて現地で鉛筆転がして投票先を選んだ方がいい。
それだけでも多少は組織票を薄める効果があるだろう。
そもそも完璧なマニフェストも
100%自分の思いに沿った政党もあるわけないし、
「最もマシな選択肢を選ぶ」というのは人生と同じである。

ワタクシもそんな感じで投票先を悩んだ一人である。
ただ、少なくともハッキリしているのは
「失われた20年」の一端を担いだ土建屋へのバラマキ政治へ回帰した自民党や
優しい笑顔で思いっきり若者を斬り捨てる共産党は選択肢にすら入らない。
あとの政党は政策の好き嫌いはあるけれども、
そのワタクシの好みが仮に論理的に正しくても
それが日本社会にフィットするかは分からない。
実現できるのかさえ分からない。
ただその中で一つだけ異彩を放つ政党がある。
日本維新の会である。
ここだけが中央の官僚が支配する統治機構を改革すると明言している。
政策の善し悪しは別にして、
民主党が言ってた「政治主導」がかけ声倒れに終わったのも
決定できない政治システムがその問題の根底なのであって
ここが変わらなければおそらくどの政党が政権を取っても
ほとんど何も変わらないだろう。
民主党のようにかつての自民党化していくだけなんじゃなかろうか。

ということで、
その改革が本当に実現できるのかどうかは分からないが、
またワタクシ好みの政策を掲げているのを抜きにしても
明らかに他の政党と違った本質的な改革を掲げている点で
ワタクシは維新の会を支持する。




ネット党首討論会を見てみた

ニコ動でやってたやつ。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv116879569
リアルタイムでは全然繋がらんかったが、タイムシフト視聴はできた。

この番組のテーマは3つ。
TPP、消費税、原発 だ。

その辺りの討論を聞いた感想を簡単に述べてみる。
(およそツイッターでつぶやいた話)

まず、TPPについてはみんなオバケにビビり過ぎだと感じた。
外交交渉なんだからそりゃアメリカも自国に有利な条件をねじ込もうとするだろうけど、
それから逃げるんじゃなくてどうやって渡り合うか考える方が大事なんじゃないの?
最終的にどうにも国益にならんものだったら離脱すりゃいいわけだし。
ワタクシは、以前もブログで述べたように、TPPには賛成だ。
公的医療制度が議題に上るとは外務省も言ってないし
グローバル化に対応するには参加せざるをえないんじゃないのかね?
色々反対論があるが、どれも論理に無理があるので
積極的に反対しなければならない理由が見当たらない。

次に消費税問題。
「消費税は小学生も負担しなければならない」と誰か言ってたが、
そうですよ、だから節税に勤しむタコ社長も
資産をたんまり溜め込んだ銭ゲバ老人も
裏社会のチンピラも逃れられない公平性が消費税の利点なんでしょうが。
いわゆる逆進性は問題になるが、
貧困層対策は別の制度でそれなりにやりようがあるだろう。
それと益税問題も、ありゃ制度の問題なんだから何とでもなるでしょうに。

それと原発問題。
驚いたのは視聴者のコメントのほとんどが原発賛成になってたことだ。
しかしまあ、実際問題、新規建設は政治的に不可能だろうから、
放っといても自然にフェードアウトするんだろうが、
即時停止は現実的にはナンセンスだ。
全ての原発を停止するってことは、
現在電力会社の「資産」である原発を政府が毀損することになるが、
そんなこと許していいの?
そのことによって債務超過に陥ったら結局税金で補填することになるが、
それでもいいというのだろうか?
一方で2030年代に原発をゼロにするって政策も
どうせそんな頃まで責任取れる人なんていないんだから無責任な話だ。
だとすると今回の総選挙の争点にすらなりえないのではないかと感じた。

といった感じで、
ワタクシの中では原発以外は終始正論を吐いてた野田首相に軍配。
民主党がリードした感があるかな。
ただしエネルギー政策については自民党に理がある。
総選挙後は民自公の連立で野田首相再任ぐらいが現実的には妥当なのかなといった感想を持ちました。

あとね、
社民党の福島さんが「瑞穂の国」と言い出したのがおかしくってたまらんwww
今でも思い出し笑いしてしまうよ(^^;)

JUGEMテーマ:選挙


実験君シリーズ『自分撮り写真で免許証作ってみる』

5年に1度とはいえ、めんどくさい運転免許証の更新の時期がやってきた。

そこで、更新のお知らせハガキを眺めながら
何か面白いことができないかと考えていると閃いた!


これ、自分撮りでもイケるんじゃね?

免許証更新時には写真が1枚必要となる。
これが、うちみたいに警察署での更新手続きとなると
自分で用意して持って行かなければならないのだが、
その写真についてはサイズと撮り方が規定されてあるだけで
何で撮った写真かは指定が無い。

要するに顔が分かればいいんでしょ?

ケータイで撮ってやれwww
普通に自分撮り機能を使って自分一人で撮影。
ちなみに撮り方は例によって
ツイッターやフェイスブックのアイコンにも使ってる
キャバクラ嬢直伝のやり方なのだが、
あまりやり過ぎて「誰これ?」となっても困るので
少し控えめにしておいた。

これをiPhotoに取り込んで、
若干の「補正」を加えw
普通の写真用光沢紙に印刷。
そして既定のサイズに切り揃えて、警察署へ。

・・・・・・

とりあえず普通に更新手続きを窓口で始め、
いよいよ写真提出の段階になった。
「写真は持って来られてますか?」

「あ、これでお願いします」
アノ写真を差し出す。

「え・・・ちょ、ええっ!?」
ワタクシの顔と見比べながら窓口のお兄さん困惑www
隣のおばちゃん警察官に「これどう思います?」と聞いてやがる。
この時点で既におかしくて仕方なかったんだけど、
そこはぐっとこらえてクールに対応。

おばちゃん警察官が聞いてきた。
「あの、これって自分で撮影された写真ですよねぇ?」

「ケータイで撮りましたが、何か?」

「ええ!?ちょっとそういうのはどうなんですかねぇ」

「ダメだとはどこにも書いてませんが。」

「ええ、まあそうなんですけど・・・ちょっと聞いてきます」

と、奥の方へ写真持ってって上司っぽい人に相談してるしwww
上司っぽい人も腕組みしてこっちをチラチラ見てるしwww

その後上司っぽい人がやってきて
「明らかにダメだとは言えないので一応は受理しますが、
 これって免許センターの方に送られてそちらで免許証にするんですよ、
 だからその段階で不鮮明と判断されて再提出になるかもしれませんが
 それでも構いませんか?」

判断を免許センターに投げて逃げやがったwwwwww

「ええ、まあ、そうなったらその時考えます」
と答えて手続き完了♪



そしてそのまま連絡も特に無く、免許証完成!
素晴らしい!
マジでケータイで自分撮りしたのが免許になったwww

ただ、以前の免許証の写真(写真屋で撮ってもらった)と比べたら
さすがにキメが荒くあまりイカス感じではない。
でもコストはそれこそ数十円だし、
自分で気に入るまで何度でも撮り直し可能なので
自分撮り写真で免許証作るのも悪くないかもしれない。


相方のケータイをチェックするのってアリ?

恋人や夫婦で相手のケータイを覗くって
果たして良いことなのかどうか?

実はちょうどそういう事例と相次いで出会ったので
今回の話をふと書いてみた次第。

まあ、結論から申し上げると、
必ずしも悪いことだとは思わんが、大人なやり方とは思えない。


ケータイなんていうおそらく個人のプライベートの核心に
最も近いであろうところを探ろうとするのは
自分の自信の無さの表れなのであろう。
つまり嫌われるんじゃないかとか
浮気されるんじゃないかとかいう
自信の無さから生まれた不安を埋めるためにそこを覗こうとする、
というネガティブな心理に起因する行動である。

ただしそういう思いでケータイを見せてもらったところで
残念ながらその先はいばらの道である。

例えばそれで無事何も疑わしいところが見つからなかった。
では、だからと言ってケータイを覗いた人は安心できるだろうか?
たまたま無かっただけかもしれない・・・
事前に消したのかもしれない・・・などの疑念が涌き起こり、
一度のチェックで気が済むはずがなかろう。
一度やってしまったが最後、きっと次もまた覗きたくなる。

一方でケータイを見せるのを嫌がったとか、
こっそり見ようとしたらロックがかかってたとか、
そういったケースになると疑念はさらに増幅する。
もちろん疑わしいものが見つかった場合はさらに疑念が膨らむことになる。
そこで思い切って追求すれば痛過ぎる事実があるかもしれないし、
そのような「不幸な告白」が無くても疑念を消す材料にはならんし、
そうかといって追求できずに黙っておけばずっと悶々とすることになる。


つまり、
そもそも不安に思うことを相手の内面を暴くことで解消しようとするのが
浅はかで子供っぽい考えなのだ。
どんなに親しい間柄であれ、
個人個人には侵してはならない領域というのがある。
またハッキリさせない方がいいこと、
知らない方がいいこと、
忘れた方がいいこともある。
それらをいちいち白黒つけずに清濁合わせて飲み込んで
目の前の相手の良いところと自分との関係性だけ純粋に見ていけるのが
本当の大人なんじゃないだろうか。

別の言い方をすれば、
最初から「不安色のメガネ」をかけて相手を見ていては
最後までそのメガネを通したものしか見えないんだよね。
そこに自ら気付くことができるかどうかが
その人の知性や度量に影響するんじゃないだろうか。

こういったことを理解してもらった上で少し厳しい意見を言えば、
そもそも
「ホントにやましいことが無いならケータイぐらい見せれるはず」
とはどういう理屈で言うのだろうか?
その裏にあるのは
「まずはこっちを安心させて。そしたらあなたのことも信じてあげる」
ではないか?
それって一体何様のつもりだ?順番が逆だろう。

例えばどうしてそんなに不安になるのか素直に話して相手に理解を求めた後に
相手の意思に任せてケータイをチェックするのはありだろう。
しかし相手に黙ってこっそりチェックするってのはいかに浅ましい行動か、
心当たりのある人は一度よく考えてみるといい。

恋愛に限らず人間関係の基本は「ギブアンドテイク」だ。
まず与えよう。さすれば与えられる(かもしれない)ものだ。
それなのに相手に差し出すのがまずは「踏み絵」ってのは
いくらなんでもおかしいよね?



ということで、
ワタクシは細君のケータイなんぞ
見ようとしたことも無いしそもそも興味が無い。
向こうもそう思ってるはずだ。
そういうことをお互いに話し合ったわけではないが、
そんなのは他人を愛し信じるにあたって
何の役にも立たないことを知っているからだ。

最後に少しカッコつけた意見を言うとしたら、
本当にその人のことが好きなんだったら
「自分を傷付ける権利」ぐらい気前よくくれてやれよ!
といったところですかね。

では皆さん、
相手を信じる度量を磨いてよりよい恋愛を。



JUGEMテーマ:自分の恋愛観 

反原発は宗教である

先日、とある友人とツイッターで原発の是非を巡る討論をしていたのだが
彼は穏やかな脱原発派であり、ワタクシは原発容認派という意見の違いはあっても
再稼動まで反対するのは合理的ではないという点では意見は一致していた。
そこでワタクシが「原発再稼動反対!即時廃炉!」と叫ぶ極端な反原発派を
「彼らは群れる女子みたいなもんで、一人じゃトイレにも行けない」
みたいなコメントを引用して表現したところ
熱心な反原発派の方にご意見をいただきました。

ツイッターは発言が全てweb上にログとして残り、誰からでも見えるので
勝手に引用させていただきますけども、
その方は
「子供の甲状腺ガンがチェルノブイリよりはるかに早く発見されました 子供たちの命 家族の命 日本の方々のすべての命とすべての美しい土地 私はそれが失われていくなら悲しく思います また事故がおきたら大切なものが全て一瞬で消えます」
と言うのです。

そもそも、ワタクシは
別に反原発派だろうが何だろうがその価値観を否定はしないけど、
議論にならない話で他人の価値観を変えてやろうっていう
あの傲慢さは何とかならないもんかなぁ・・・と思うことがあります。

ワタクシはもし低線量被曝の害を示す妥当性の高いエビデンスが示されれば、
そして一生のうちもう一度ぐらい重大事故が起こると懸念するに値するような
(例えば車に轢かれて死ぬ程度の)リスクがあると示されれば
いつでも負けを認めて反原発派に回る覚悟はあります。
では反原発派のそのような反証ポイントは?

その方は結局それを示されませんでした。

この場合はつまり、
反原発派の主張をこちらが仮に全て論破したとしても考えを変えない、
「自分が嫌なものは認めない」という駄々っ子の屁理屈で戦っていることになります。

実際にその方の重要な主張をいくつか反論してみましたが、
もうつまるところ

「原発の存在そのものが邪悪である。それと戦うのが正義である」

この信念に突き動かされているとしか思えない。
これってもうただのカルト宗教じゃない?
だってそれを支えるのは科学ではなく
「神は存在するかどうか」みたいなのを扱う形而上学の世界だと思う。
一応それを支える理論として

「原発事故はいつか必ずまた起きる」
「放射能のリスクは無限に危険だ」
などがあるが
これらも科学では否定しにくいところだ。

特に前者は科学的にはどうやっても否定の出来ないところで
他の便益とのバランスで配慮するしかない。
確かに原発事故は明日起きることも否定はできないが、
確率論として10年で1回起きるのか100年で1回起きるのかでは意味が異なる。
後者もまた科学的には否定できないところで
有意差が無いからと言って差が無いとは言えないので
マトモに科学を分かっている人ほど口ごもってしまうが、
これだけの大規模調査をして有意差無しという結論であれば
その害はあってもごくわずかなものであろう。



もちろん個人で、
あるいは内輪では何を主張しても何を信じても良いと思いますが、
個人的な妄信や価値観を根拠にして
社会的に不合理な話を進めようとするのはまっぴらごめんなわけですよ。

だってそうでしょう?
いろんな人の利害や価値観が交錯するけど
国家としてどこか最適な方向に進んでいかなければならない時、
一部の国民の反対にあっても行わなきゃならないことだってあるでしょう。
その時にしぶしぶながらも納得できるのは「論理的な合理性」であって
誰かの好みで決めるような政治であって欲しくないわけです。


ワタクシは穏やかな脱原発には一理あると考えるが
再稼動まで反対する急進的な反原発論は
自分たちの価値観で社会に害悪を為そうとするカルト宗教団体であると断言する。
それは彼らの正義や善意によっての行動なので「悪党」とまではいわないが、
それこそ「オウム真理教」と性質は大して変わらないと思うのであります。

ということで、
この話に反論がある人は
自分はどこを論破されたら説得に応じるかをまず考えていただきたい。


人間は完全ではない

人間は神にはなれない。
なぜなら不完全な存在であるからだ。

ゆえに、「人間は良いことをする手で悪いことをする」。

ここ、大事だと思います!
つまり、善人にも悪事を働く可能性があり、
どんな悪人にも更正の可能性はある。
その時の状況やそこに至るまでの過程で人間の行動は左右されるものなのだ。

また、人間は先のことを完全に見通すことができない。
だから、良いと思ってやった行いが必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。
逆に悪徳だと思われていたことが良い結果をもたらすこともある。


例えば医療においては、
多少なりとも患者さんの行動を変えたり従わせたりするのであるから、
「かわいそうだから」などの心情や
「これがベスト」という独善で動いてはならないと考える。
我々は動機や手段ではなく、結果に責任を持つべきであろう。


これを応用して、同じロジックで政治を考えると、
政治とは暴力を独占するシステムであるから、
(国民に殴り合いをさせないという意味で)
医療以上に結果に責任を持つべきである。
原発問題に垣間見える穢れ思想みたいな純粋な動機で
日本を貧しい方向へ導いて欲しくないものだ。




寿命はカネで買えるか?

ついに寿命もおカネで買う時代に?:日経ビジネスオンライン

格差問題が世界的に叫ばれる昨今であるが
どうやらそれは「健康格差」というところまで話が発展したらしい。

確かに医学が未発達だった大昔は
経済的に豊かであろうとなかろうとあまり差はなかったかもしれない。

しかし今は金持ちは自由に先進医療を受けることができて
貧乏人は満足な医療すら受けられないから病気で早死にする。

本当だろうか?

これは一部は真実であるが、他はそうでもないと言えるのではないか。

色々反論はあろうが、
例えば医療費が無料である英国においても
そのような金持ちと貧乏人の健康格差が見られるということは
健康にはお金以外のファクターが重要なのではないか。
それは冒頭に紹介した記事にも書かれており、
その点では記事のタイトルはけしからんミスリードを呼ぶ付け方だと思う。



しかしまあ、
よく考えてみると長生きすることが真に最良のアウトカムかどうかが疑わしい。
その前に健康であることが幸せであるかどうかも普遍的とは言えないのではないか。
そのように考えると、
「健康格差」なんて最初から最後まで無かったのかもしれない。
つまり個人個人が自分らしく生きることができたらそれで良いではないか。
(もっとも、お金が無いよりはあった方が自分らしく生きるのは簡単になるだろうが)

一方、生きるということは取捨選択とそれによる結果の甘受の連続だ。
つまり、生きていることそのものが投資行動だと言える。
ということは、
そこに長けた人が金銭的にも健康的にも豊かになるのは
言ってしまえば当たり前なのではないだろうか?

「投資に必須なものは感情すなわち欲望のコントロールである」
というのがワタクシの持論である。
というか、マトモな投資の本を読めばたいていそういう風味なことが書いてある。
それでまあ、それができない人はあらゆる意味で資産を殖やせないのだ。

つまり、

金が無いから不健康になるんじゃない。
欲望をコントロールできないからこそ太ってるのだし貧乏なのだ。

ということで、お後がよろしゅうございますか?




残念な太陽光発電

ある時、ふと気になって調べてみた。

日本の年間総発電量がおよそ1兆kWhで、
国内最大の23haもあるメガソーラー発電所が年間1370万kWhってことは、
単純計算するとそのメガソーラーを72993箇所作ると
日本の電力は全て太陽光で賄えるわけで、
それに必要な面積は23ha×72993=16788平方kmなので、
例えば全国的に晴天の多い岡山県+広島県+香川県を
全て太陽光発電パネルで覆い尽くし日光を奪ってしまえば良いわけですな!

仮に太陽光発電の変換効率が倍ぐらいに進歩して、
全体の半分は他のエネルギー源で発電するにしても
広島県の半分ぐらいは太陽光発電に供さねばならない計算になる。

未来は明るいんだか暗いんだか(笑)

電力を何に頼るかという問題ではコストばかりが議論されるが
それを取り出すのに必要な「密度」も議論しないんじゃないかと思う次第。

まあ、この例に出した国内最大のメガソーラー発電所が1年かけて生み出す電力は
原発1基が数時間稼動したら余裕で生み出せてしまう程度なんだけど
その辺の差もいかんともしがたいものですなぁ(^^;)

別にワタクシは原発推進でも反太陽光発電でもない立場ですが、
こうして客観的数字を見ると・・・ねぇ。

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